怒りの行く先はどこなのか
3つの看板をめぐった人間ドラマ
こんにちは!映画部ライターのすずきです。
2月に入りましたが、映画好きのみなさんが心踊るイベント、アカデミー賞まで1ヶ月を切りましたね!
アカデミー賞は、今年で第90回目を迎える歴史的な映画賞。先日、今年のノミネート作品が発表されました。
今日は、主要6部門にノミネートされている「スリー・ビルボード」について書きたいと思います。
舞台は、アメリカ中西部・ミズーリ州。
娘を何者かに殺されてしまった母親が、犯人をみつけるために世間と果敢に闘う姿を描いた物語です。
娘を失ったことから、怒り、悲しみ、憂い、後悔… さまざまな感情が、母・ミルドレッドの中で渦巻きます。
そんな状況から重いシリアスな物語が始まるのか…と思いきや、違いました。 彼女は抑えることのできない怒りに突き動かされ、ある行動に出るのです。
後ろに見える、真っ赤な看板(billbord)。これをなんと、自腹で掲出してしまうのです。
どうして? ウィロビー署長。
( HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY? )
それで、逮捕はまだ?
( AND STILL NO ARRESTS? )
娘が死んでしまったこと、犯人がみつからないこと、なぜみつけられないのか?という警察への怒り。すべてを、広告を通して世の中にぶつけます。これが火種となって他人の怒りをかってしまい、それがどんどん連鎖していきます。
なかなかパンチが効いたお母さんですが、これでもまだ序の口です(笑)
「憎しみの連鎖」はどんな国でも場所でも起こりえますが、特にアメリカとは切っても切れないテーマだと思います。白人による黒人への虐待はその代表です。
4年前に起こったマイケル・ブラウンさんの射殺事件は記憶に新しいですが、それもこの映画の舞台と同じミズーリ州で起こりました。南北戦争のころから、白人と黒人の間にある「憎しみ」は、未だ絶ち切られていません。
命を落とした人ひとりひとりに、悲しむ親族や友人がいる。ということは、ミルドレッドのような感情にとらわれ苦しんだ人は、いったい今までにどれだけいるのでしょうか。
彼女は、同じ境遇なら誰もが抱くはずの「やるせなさ」を見事に表現していると思いました。
「怒りは怒りを来す」
怒りの連鎖を断ち切れるのか
ある日、ミルドレッドを揺さぶる出来事が起こります。
それは、彼女が恨んでいた街の警察署長・ウィロビーの死でした。
彼は亡くなる直前に、ミルドレッド宛に自分の気持ちを綴った手紙を送っていたのです。
私の死は、君とは全く無関係だ。
犯人がみつからないことを、とても残念に思っている。
間違っても、殺されるなよ。
犯人が見つからないことの責任を、ウィロビーに押し付けていたミルドレッド。
しかし、娘の死は、犯人以外の誰のせいでもありません。
自分がしていることは、八つ当たり以外のなんでもないということはミルドレッド自身も分かっていたはずですが、それに改めて気づくこととなります。
誰のせいでもないなら、もう復讐は辞めるのか?
もちろん、ミルドレッドの答えはNoです。彼女の怒りはどこに行き着くのでしょうか…?
テーマはものすごくシリアスなのに、「え、そこまでやっちゃうの?」とツッコミたくなる要素があって、
それと同時に、大切なメッセージはちゃんと伝わってくるところが、この映画のおもしろいところだと思います。
「シリアスとコメディの中間」といえばいいのか、シリアスが一周してコメディになっちゃってると言えばいいのか…。とにかく、私がみたことのある映画の中では、新しいジャンルでした。
個性豊かな登場人物たちが繰り広げる会話劇も、この映画の大きな魅力です。 その裏側にあるメッセージを読み取りながら、鑑賞してみてください。